これは私個人の大学での授業復習メモのようなものですが、人に見せるものに書いた方がちゃんとまとめようとする気がしましたのでブログにぺけぺけ書いてみることにしました。
私は先日、某メディア・アートの授業で非常に興味深いことを聞いた。
"AVANT GARD needs HISTORY"
「前衛には歴史性が必要である」
このとき私は、なぜ人は学ぶのか、知識とは人間に何をしてくれるのかに関して新たな視点を知ることができたように思った。もしくは、薄ぼんやりとした感覚が言語化されたとも、再認識したとも言えるかもしれない。
「前衛には歴史性が必要である」
つまりどういうことか。本題に入る前にまずはこいつを見てほしい。
以下の図は、ユタ大学のMatt Might博士が紹介している”The illustrated guide to a Ph.D.”というものだ。これらは、人間が大学の博士号を取得するということがどういうことなのかを視覚的に説明してくれている。
①人類の英知、つまり知識すべてを集めた円を想像してください
②小学校を終えるころには多少はほんの少しの知識がついているでしょう
③時は流れ、高校を卒業する頃にはもっと知識をつけているでしょう
④大学に進学すると、さらにもう一回りの知識と、若干の専門知識が身につくでしょう
⑤そこで大学院へ進むとさらにその専門知識を深められます。
⑥そこから更にたくさんの文献を読みまくると、人類の英知の端っこのところ(最先端)に届きそうです
これが博士課程くらいかな?
⑦端っこに届いたところで一旦この先端部分に集中します
⑧数年かけてこの知識の境界線(最先端)を押し続けます
つまり研究活動かな
⑨そのうち、境界線をちょっとだけ押し出します
⑩この押し出した部分。これが博士号がとれたということです
⑪ここまでくると、もうすでに世界は違って見えているでしょう
⑫それでも、この全体図を忘れないでください
-Keep pushing.
境界線を押し続けよう。
授業でこいつを見た時はたまげたもんだったぜジェニファー、分かりやすすぎて腰を抜かすかと思ったもんだ。だけど腰を抜かしかけたその時、ボビーが入ってきてこう言ったんだ。「じゃあ一体誰がパイを焼くんだ」ってね。
なお、Matt Might博士はこの画像をネット上で無料で公開、転載を許可している。ありがとう博士。
→ “The Illustrated Guide to a Ph.D.”
http://matt.might.net/articles/phd-school-in-pictures/
この図はつまり、既存の知識、歴史の中で蓄積されてきた知識の枠(境界線)を突破し新たな知を創造するには、その既存の知識をまた自分の中で蓄積させていかないといけないということだと思う。
ここで再度「AVANT GARDE(アバンギャルド)」の話をしよう。
これはフランス語で、元々は戦争において戦線の一番前に立つ少数精鋭部隊を指す、「前衛」という意味の軍隊用語だ。
つまり自陣とその向こうとの 境界 を突破するものを指す言葉であるともいえる。
そして先程の “The illustrated guide to a Ph.D.”の図の「知の境界線(最先端)」を思い出してみよう。あの円の輪郭の部分である。
そう、あのラインこそが「前衛」=AVANT GARDEだ(と、先生が言ってた)。
"AVANT GARD needs HISTORY"
「前衛には歴史性が必要である」
つまり、いかなる分野でも最先端へ到達するには、積み重ねられてきたその歴史が不可欠なのだ。
すなわち
「既存のものには囚われない!自分は最先端をいきたいんだ!」
というようなセリフは既存のものを学ばない言い訳にはならない。
なぜならこの論理でいけば、人間は何の蓄積もない状態であるスタートラインから突然境界線にワープすることなど不可能なのだから。
このことを知った時、私はこれまでなんとなくスッキリしなかった感覚を説明できるようになった気がした。
我々が立つ地点からAVANT-GARDEへの距離は無視できない。その距離を歩くのが億劫なら、はじめから「既存のものに囚われない」なんて妄言は吐くべきではないのである。
というわけで授業の復習の結果、
「囚われない」と「考えない」は全くの別物であり、むしろ囚われないためにはよっぽど深く掘り下げて考える必要がある、という結論に達しました。
きっと何かを批判する時もそう。批判をするためにはその対象に関する知識をある程度もたないといけないわけですね。
「囚われない」≠「考えない」
いやこれ考えてみたらめっちゃ当たり前じゃーんって感じだけれど、はてさて一体どれだけの人がこれをできているのか…?(自戒)