ふみの沼

フラミンゴの駄文置き場

自己肯定感バリ高のまま鬱になったらバグみたいになった

【この記事は2021年に書かれたものです】

 

こんにちは、ミーゴです。

新たな感染症が世界的に猛威を振るう中、自分の命と人の命を守るために「ステイホーム」が呼びかけられた。大学生である私も、授業もアルバイトもすべてオンラインとなり家に籠り続けている。

自粛生活が始まって数週間が経つ頃、以前は外出を楽しんでいた人々が家に押し込められ続けることの苦痛を訴え始めた。
私はというと、幸いにも以前から通学以外あまり家から出ないお家大好きマンであることや、実家暮らしのため人と接する機会は一応毎日なので、自粛生活がはじまって最初の2ヵ月くらいは、むしろ調子がいいようにも思えた。完全に余裕をぶちかましていた。

しかし、異変を感じたのは期末試験に突入した8月。
自分でいうのもなんだが、私は学生としては真面目な方だ。これまで単位もほとんど落としたことがなく、このレポート難しいな~~と思っても、最終的には期限内に提出することができていた。しかし、大学4年目にして突然6単位を落とした。はじめてのことだった。このままだと単位を落とすと頭では理解していながら、レポートを提出することができなかったのだ。それまで授業は真面目に聞き、小レポートや中間レポートも提出できていた。それにもかかわらず、私は期末レポートを書くことができなかった。

いつものようにスケジュール帳にはそれぞれの課題に着手するスタート日と締切を書き込んでいた。しかし、いざスケジュール通りに課題に手を付けようとしたとき、体の中のどこを探しても課題のためのエネルギーが見つからない、とにかくやる気がないことに気付く。

頭の中では「やれば終わる!やらないと終わらないよ!しゃんとしろ!」という自分の声が何度も聞こえていたが、まるで体がそんな意思とは全く切り離されてしまっているかのような感覚。無理矢理机に向かい、パソコンを開くも手は頭の中が真っ白で手は動かず、ノートや資料を読んでも何も頭に入らなかった。何度かそれを繰り返したが何も進まず、最終的には真っ白なword画面を前に涙が止まらなくなった。診断を受けたわけではないが、軽く鬱になっていたと思う。

 

体にも異変を感じた。私は元々は朝に強く、寝起きがいい。しかし、上記のような状態になった頃、極端に寝付きが悪くなり朝も起きられなくなった。そのせいで日中はどうしようもない眠気に勝てない。さらに何もせず座っているだけで動悸がし、体の内側がむず痒いような叫びだしたくなる感覚に襲われた。床に寝そべって目を閉じているといくらかマシになったので、レポートの締切が迫る中、一日の大半をそうして過ごしていた。そんな自分を良くないと思う気持ちもあったし、気分も常に沈みがちだった…が、しかし、元来のバリ高自己肯定感がそんな気持ちに塗る潰されるわけがなかった。そしてバグが起きた。

 

私の脳みそはいわば全自動コウペンちゃんだ。

どうやらこのコウペンちゃん、お花畑より私の脳内へ遊びに来ているわけではなく、ベースプログラムとして組み込まれているらしいことが今回わかった。

その状態で鬱っぽくなるとどうなったのか…?

 

鬱ミーゴ「ああ…しんどい…何もできてない…単位が…こんなこともできないのかお前は……」
肯定ミーゴ「心が大分まいってんねこりゃ!休め休め!自分より大切なものないからね!ワハハ!」
メタ認知ミーゴ「確かに、そもそも今の状況は自分にとってかなり異常だ。無理したところで悪化するだろう。しかしレポートを未着手のままにするのも鬱の原因なのだが?」

 

うるせえ~~~~~~~~~~~~~脳内が3人になった。

感覚としては、物質的な身体の持ち主であり体調の悪さや眠気や胸の苦しさ、情けなさなどを味わっているのが「鬱ミーゴ」、そんな状態の鬱ミーゴを少し離れたところから見て、何も手についていない状況ごと包み込んで肯定しているのが「肯定ミーゴ」、その2人の様子をまたもう一歩ひいたところから見てマジレスしてるのが「メタ認知ミーゴ」だ。合計3人のミーゴがいっつも同時にいるような状態。
脳内どったんばったん大騒ぎの大忙しである。

一応、おかげで暗い気分に完全に支配されているわけではないためゲームをしたり好きな音楽を聴いたりした時の楽しい気持ちは消えたりせず、また「大人しく休んでいいよ」と自分を許してくれる心があったから限界まで無理することなく心と体を休めることができたし、休むことへの罪悪感に押しつぶされかけても、そんな感情を自力でブロックできていた。そこはミーゴが3人いて素直に良かったと思う……

思うん………だけどさあ!!!?

うっっるさい!!!いっっっつも頭の中で3人分の意識があるのも鬱と別の理由で気が狂いそう!!!!

例えば、私の自己肯定感の高さが「自分は○○ができるから」など具体的な理由があるものだったならば、今回のように「レポートが書けなかった」「起きられなかった」ときに崩れてしまったのではないかと思う。しかし、根拠もなくただそこに“在る”ベースプログラムであるため、実際のところびくともしなかった。そのため、おそらく自分は元来かなり鬱になりにくいマインドの持ち主なのだろう。その上でいざ鬱になった今回、高い自己肯定感と鬱とが、どちらか一方がもう一方に吸収されるでもなく、水と油のように互いを弾き分離したわけだ。結果、バグみたいなことになった。
はえ~~、こんなことあるんだなあ。

結局私は、無理のない範囲で出来るだけのレポートを提出して6単位を手放し、期末試験期間を終えた。前々から4年目の後期から一年間休学することを決めていたので、これからは少しのんびりめに就活や卒論のことを少しずつ考えていくつもりだ。
残ってしまった6単位は、その後考えればいい。

「アバンギャルド」と我々との距離

 

これは私個人の大学での授業復習メモのようなものですが、人に見せるものに書いた方がちゃんとまとめようとする気がしましたのでブログにぺけぺけ書いてみることにしました。

 

私は先日、某メディア・アートの授業で非常に興味深いことを聞いた。

 

"AVANT GARD needs HISTORY"

「前衛には歴史性が必要である」

 

このとき私は、なぜ人は学ぶのか、知識とは人間に何をしてくれるのかに関して新たな視点を知ることができたように思った。もしくは、薄ぼんやりとした感覚が言語化されたとも、再認識したとも言えるかもしれない。

 

「前衛には歴史性が必要である」

つまりどういうことか。本題に入る前にまずはこいつを見てほしい。

以下の図は、ユタ大学のMatt Might博士が紹介している”The illustrated guide to a Ph.D.”というものだ。これらは、人間が大学の博士号を取得するということがどういうことなのかを視覚的に説明してくれている。

 

①人類の英知、つまり知識すべてを集めた円を想像してください

 

 

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Imagine a circle that contains all of human knowledge:

②小学校を終えるころには多少はほんの少しの知識がついているでしょう

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By the time you finish elementary school, you know a little:

③時は流れ、高校を卒業する頃にはもっと知識をつけているでしょう

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By the time you finish high school, you know a bit more:

④大学に進学すると、さらにもう一回りの知識と、若干の専門知識が身につくでしょう

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With a bachelor's degree, you gain a specialty:

⑤そこで大学院へ進むとさらにその専門知識を深められます。

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A master's degree deepens that specialty:

 

⑥そこから更にたくさんの文献を読みまくると、人類の英知の端っこのところ(最先端)に届きそうです

これが博士課程くらいかな?

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Reading research papers takes you to the edge of human knowledge:

⑦端っこに届いたところで一旦この先端部分に集中します

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Once you're at the boundary, you focus:

⑧数年かけてこの知識の境界線(最先端)を押し続けます

つまり研究活動かな

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You push at the boundary for a few years:

⑨そのうち、境界線をちょっとだけ押し出します

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Until one day, the boundary gives way:

⑩この押し出した部分。これが博士号がとれたということです

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And, that dent you've made is called a Ph.D.:

⑪ここまでくると、もうすでに世界は違って見えているでしょう

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Of course, the world looks different to you now:

⑫それでも、この全体図を忘れないでください

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So, don't forget the bigger picture:

 

-Keep pushing.

境界線を押し続けよう。

 

 

授業でこいつを見た時はたまげたもんだったぜジェニファー、分かりやすすぎて腰を抜かすかと思ったもんだ。だけど腰を抜かしかけたその時、ボビーが入ってきてこう言ったんだ。「じゃあ一体誰がパイを焼くんだ」ってね。

 

なお、Matt Might博士はこの画像をネット上で無料で公開、転載を許可している。ありがとう博士。

→ “The Illustrated Guide to a Ph.D.” 

http://matt.might.net/articles/phd-school-in-pictures/

 

この図はつまり、既存の知識、歴史の中で蓄積されてきた知識の枠(境界線)を突破し新たな知を創造するには、その既存の知識をまた自分の中で蓄積させていかないといけないということだと思う。

 

ここで再度「AVANT GARDE(アバンギャルド)」の話をしよう。

これはフランス語で、元々は戦争において戦線の一番前に立つ少数精鋭部隊を指す、「前衛」という意味の軍隊用語だ。

つまり自陣とその向こうとの 境界 を突破するものを指す言葉であるともいえる。

 

そして先程の “The illustrated guide to a Ph.D.”の図の「知の境界線(最先端)」を思い出してみよう。あの円の輪郭の部分である。

そう、あのラインこそが「前衛」=AVANT GARDEだ(と、先生が言ってた)。

 

"AVANT GARD needs HISTORY"

「前衛には歴史性が必要である」

 

つまり、いかなる分野でも最先端へ到達するには、積み重ねられてきたその歴史が不可欠なのだ。

 

すなわち

 

「既存のものには囚われない!自分は最先端をいきたいんだ!」

 

というようなセリフは既存のものを学ばない言い訳にはならない。

なぜならこの論理でいけば、人間は何の蓄積もない状態であるスタートラインから突然境界線にワープすることなど不可能なのだから。

 

このことを知った時、私はこれまでなんとなくスッキリしなかった感覚を説明できるようになった気がした。

 

我々が立つ地点からAVANT-GARDEへの距離は無視できない。その距離を歩くのが億劫なら、はじめから「既存のものに囚われない」なんて妄言は吐くべきではないのである。

 

 

というわけで授業の復習の結果、

「囚われない」と「考えない」は全くの別物であり、むしろ囚われないためにはよっぽど深く掘り下げて考える必要がある、という結論に達しました。

きっと何かを批判する時もそう。批判をするためにはその対象に関する知識をある程度もたないといけないわけですね。

 

「囚われない」≠「考えない」

 

いやこれ考えてみたらめっちゃ当たり前じゃーんって感じだけれど、はてさて一体どれだけの人がこれをできているのか…?(自戒)

平等ってなんだてめー

この前、母上と一緒に私の幼少期の思い出話をした。

 

私は昔、父上の仕事の都合で2年間アメリカで暮らしたのち日本に帰国し、小学校2年生から今も住んでいる地域の小学校に通うことになった。

 

幼少期の私はコミュ障というよりも人見知りなガールであったが、帰国子女という物珍しさもあったのか色んな子が話しかけてくれて、そこそこすんなり周りに馴染むことができた。

 

しかしである。いくら馴染めたとはいえ、つい最近まで生活していた場所とは言語も文化も景色も違うところに移ったことはやはり暫く心細くあった。また、いくら新しい友達ができても、仲の良かった友達と離れ離れになることはやはり寂しかった。私が日本に帰ると発表した時にクラスメイトたちが泣きながら駆け寄ってハグしてくれた時のことは今でも覚えている。

 

そんな中、私が無敵状態になるタイミングがあった。そう、ALTを招いた英語の授業である。今でこそ賞味期限切れしたが、当時の帰国したてフレッシュな私はここぞとばかりに授業外でもALTの先生とお喋りしに行ったものである。彼はアレン先生といった。実は、「前の友達と離れて寂しい」とは新しくできた友達には言いづらい悩みだった。少なくとも当時は。かくしてその頃の私はその心細さを親にも友達にもなかなか言えずにいた。その中で唯一、その気持ちを打ち明けられる相手が外国人であるアレン先生だった。私は日本で生まれ、ある程度日本で育ち、自分のことを日本人であると認識してはいたが、やはり帰ってきてすぐは異国にいるような感覚があった。そしてまた異国の地で英語を教える先生がそれを共有できる相手だと、子どもながらに認識したのだろう。まあそんなによく覚えていないが。

 

私の認識は正しかったようで、その先生は私の気持ちに共感してくれ、学校に訪れる数少ない機会にはいつも私のことを気にかけてくれた。休み時間にわざわざ教室まで会いに来てくれたこともあった。

 

だがしかし、知っての通りALTは長くひとつの学校にはとどまれない。

アレン先生とのお別れはすぐにやってきた。友達はいたし日本語にも不自由はなく、成績はむしろ良い方であったので「Don't leave me!」と泣くほどではなかったけれども、唯一の共感者が去るのはやはり心細かった。

 

そしてアレン先生の最後の授業があった日、先生はお昼休みに私の教室を訪れた。そして心からの励ましと、お別れの言葉をかけてくれたことを覚えている。もうひとつ、先生は私にCDをくれた。子供向けの英語の歌が入ったCDだった。たぶん選曲からして、先生が授業用にもっていたものをやいてくれたものだった。当時からビートルズやジャクソン5を好んでいたクソガキにとって正直好みの内容ではなかったことはさておき、CDには先生の手描きのイラストが、メッセージ付きで描いてあった。

 

「Good luck Fumiko!」

 

細かな感情は覚えていないが、とにかく嬉しかったことは確かに覚えている。確かに私はその一言に励まされたのだった。

 

し か し 事 件 は 起 き た 。

 

その日のうちの出来事、励まされたのも束の間だった。担任が私のCDを没収したのである。しかも「校則違反だから」だとかそんな理由ではなかった。「他の子がうらやましがっちゃうから、ね?」みたいなことを説かれ、アレン先生からもらった励ましはあっさりと奪われてしまった。

これは一切覚えていないのだけれど、母上によると私は家に帰るなり泣き出したらしい。「アレン先生がくれたのに、だめなんだって」、と。

 

母上は激怒した。(本人談)

必ず、かの邪智暴虐の教員から、わが子に贈られた優しさを取り戻してやらねばと決意した。母上には校則がわからぬ。母上(当時)は、一介の主婦である。飯を炊き、子と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 

聞いたところによると、母上はメロスの速さで学校に電話し、電話に出た教員に事の顛末を話したらしい。するとその教員は平謝りで、担任を出す前からすでにCDはすぐに返すと約束した。次に担任が電話を代わり、「他の子と平等に扱わなければならないと思った」などと弁明しつつ、CDは明日すぐにお子さんにお返しします、と繰り返したそうだ。

 

以下、母上の見解。

「いや、あれだけすぐに返しますって平謝りしてくるってことは、子ども個人の物を没収するその行為の正当性もしっかりした理由も何もなかったってことだよね。じゃなかったら謝る前にもう少し説明を挟むでしょ。そもそも「平等に扱わなければ~」っておかしいよね。そもそもうちの子は海外から帰ってきたばかりで心細い、不安っていう、他の子に比べたらハンデがある状態だったわけじゃん。それを見たALTの先生が、そこを気遣って心細さをやわらげてくださって、それで初めて前からその学校にいる子ども達と同じラインに立てるわけじゃん。それが平等ってことだと私は思うから、あの先生が「平等に~」って言ったとき『平等ってなんだてめー』って心底思ったわ。」

 

なるほど。平等ってなんだてめー。

 

もとから不平等が起こっている状態で、不利な立場の人間が他の人々と等しい状態になるには、経済的支援であれ社会的サポートであれ、何かしらを受け取る必要がある。

しかし元から彼らよりも有利な立場にある人々はそれを見て「不平等だ」と抗議する。

そう言っている自分たちの足元と、「優遇されている」らしい彼らの足元にある段差にも気づかずに。

君は恋人やパートナーと脳を共有しているのかい

ここ1カ月ほど、友人や知り合いから恋愛相談を受けることが多い。以前から無いわけではなかったが、最近は連日である。

 

好きな人たちに頼ってもらえるのはやはり嬉しいもので、こんな暇人でよければいくらでも聞くぞ!鈍い脳みそしぼって頑張っちゃうぞ!って張り切っちゃう。

真剣に悩み心を痛めている彼らに失礼かもしれないけれど、私のテンションはあがっちゃう。皆、信用してくれてありがとう。

一体どこから湧くんだか分からない、このポジティブマインドが少しでも人の役に立つならいくらでも使ってくれい。

 

喜びの舞はこのくらいにして本題に移ろう。当たり前のことだが、個人の具体的な悩み事や背景事情はそれぞれ違う。人の数だけ悩みがある。しかし、ここ数日のお悩み相談ラッシュの中で、私は彼らの悩みの底の部分に共通するものがあるのではないかと考えた。

彼らは皆、とても優しい人たちだ。私は優しい人というのは、想像力のある人たちのことだと思う。想像力があるからこそ他人の痛みに共感し、他人の喜びに微笑むことができる。しかし彼らの恋のお悩みの原因もまた、この想像力なのではないだろうか。

 

彼らは言う

「相手とLINEする頻度が周りのカップルより少ない気がする。自分にあまり関心がないのかもしれない」

 

「自分のある発言が相手を困らせてしまったかもしれない」

 

「自分は今、相手と一緒にいられて幸せだけれど、何か気を遣わせてしまっている気がする」

 

「「だから関係が終わってしまったらどうしよう!」」

 

 

多くの人が身に覚えのある不安ではないだろうか。私もある。

結果取り乱し、「これ以上苦しくなる前にいっそ私から…!」なんて何の前触れもなく関係を断ったこともある。ビタースウィート。

 

だが私もあの頃よりもちょっぴり人生経験を積んだ。いくつか異なる環境で過ごし、数えきれない人々と出会い、大学で専門的な知識をかじった(現在進行中)。

そして私は今、昔の自分に、今も眠れぬ夜を過ごす人々に聞きたい。

 

 

君は恋人やパートナーと脳を共有しているのかい?

 

 

NO。当たり前だ。脳は一人にひとつだ。他人の頭の中なんてわからない。

 

じゃあ、なんであまりLINEをしないかなんて、自分の発言をどう感じているかなんて、気を遣っているかなんてわかるはずがない。

わからないから想像が膨らむ。しかも厄介なことに、人間の脳は本能的に最悪の事態を想定し始める。考え得るその事態に更に不安になり、また想像が膨らむ。ネガティブスパイラル。

 

だけど一旦落ち着いて考えてみよう。

その最悪のシナリオは、現時点では全部きみの頭の中のものだ。

そのシナリオの中での相手の思考も感情も、すべて君の想像にすぎない

 

じゃあどうすれば相手の考えていることがわかるのか。

私からの提案はシンプルだ。直接 その人に 聞いてみないか

 

恋人も、パートナーも、血のつながった家族でさえ、自分とは別の頭でものを考える他人だ。だからテレパシー能力のない我々一般人には他人の頭の中はわからない。

でも唯一それを知ることができる方法があるとしたら、それは言葉をつかってコミュニケーションをとることではないか。

 

じゃあなぜ相手は何を考えているのか言葉にして伝えてくれないんだ!と言いたい人もいるだろう。

これも私の考えはシンプルだ。十中八九、君がそれを知りたくて不安になっていること自体を相手もまた知らない、つまり君から伝えられていないからだ。

 

相手も人間、君の頭の中を覗く術などもたない一般人だ。「察してよ!」はなかなか酷な話だと私は最近とても思うようになった。

 

まあ世の中には時々、ものすごく秘密主義な人もいるかもしれない。自分の思考や感情を言語化することが苦手な人なんて寧ろ大多数だろう。

 

 でも実はみんな割とできてないか。ツイッターにいっぱい投稿してるじゃん、大事な人との関係で何が不安なのか。何を伝えてほしいのか、自分のどういう気持ちをわかってほしいのか。

そのツイートそのままコピペして相手に伝えれば意外とすんなり解決することって多いのではないか。

 

 

それができれば苦労しないんだよ!

 

 

ごもっともです。

実際、自分の気持ちを外に出すのには勇気がいる。ましてや1対1で直接ぶつけるなんてお腹ヒュッてなる。

でも私の恋人って、私が悩んでいることを知ったくらいでドン引きするような人間か?私と面と向かって話し合うことを「ダル重~~」とパスするような人間か?

私はその人とそんなスカスカの関係を築いてきたか?いやそうじゃない。(反語)

 

相手と、相手との関係を信用して頑張ろうとしか私には言えない。

またここまでの話は全部あくまでも私一個人の実体験に基づいた考えです。

 

結論:話し合えば大体なんとかなる(気がする)

 

 

・おまけ

もしも勇気を出して話し合おうとしたのに、ダル重パスかまされたら?

うーん、その人が人の気持ちに真剣に向き合おうとしない人間だったということを知ったということかもしれない。知らん。

そういう人間と一緒に居続けるか離れるかは、個人の自由なので。