ふみの沼

フラミンゴの駄文置き場

平等ってなんだてめー

この前、母上と一緒に私の幼少期の思い出話をした。

 

私は昔、父上の仕事の都合で2年間アメリカで暮らしたのち日本に帰国し、小学校2年生から今も住んでいる地域の小学校に通うことになった。

 

幼少期の私はコミュ障というよりも人見知りなガールであったが、帰国子女という物珍しさもあったのか色んな子が話しかけてくれて、そこそこすんなり周りに馴染むことができた。

 

しかしである。いくら馴染めたとはいえ、つい最近まで生活していた場所とは言語も文化も景色も違うところに移ったことはやはり暫く心細くあった。また、いくら新しい友達ができても、仲の良かった友達と離れ離れになることはやはり寂しかった。私が日本に帰ると発表した時にクラスメイトたちが泣きながら駆け寄ってハグしてくれた時のことは今でも覚えている。

 

そんな中、私が無敵状態になるタイミングがあった。そう、ALTを招いた英語の授業である。今でこそ賞味期限切れしたが、当時の帰国したてフレッシュな私はここぞとばかりに授業外でもALTの先生とお喋りしに行ったものである。彼はアレン先生といった。実は、「前の友達と離れて寂しい」とは新しくできた友達には言いづらい悩みだった。少なくとも当時は。かくしてその頃の私はその心細さを親にも友達にもなかなか言えずにいた。その中で唯一、その気持ちを打ち明けられる相手が外国人であるアレン先生だった。私は日本で生まれ、ある程度日本で育ち、自分のことを日本人であると認識してはいたが、やはり帰ってきてすぐは異国にいるような感覚があった。そしてまた異国の地で英語を教える先生がそれを共有できる相手だと、子どもながらに認識したのだろう。まあそんなによく覚えていないが。

 

私の認識は正しかったようで、その先生は私の気持ちに共感してくれ、学校に訪れる数少ない機会にはいつも私のことを気にかけてくれた。休み時間にわざわざ教室まで会いに来てくれたこともあった。

 

だがしかし、知っての通りALTは長くひとつの学校にはとどまれない。

アレン先生とのお別れはすぐにやってきた。友達はいたし日本語にも不自由はなく、成績はむしろ良い方であったので「Don't leave me!」と泣くほどではなかったけれども、唯一の共感者が去るのはやはり心細かった。

 

そしてアレン先生の最後の授業があった日、先生はお昼休みに私の教室を訪れた。そして心からの励ましと、お別れの言葉をかけてくれたことを覚えている。もうひとつ、先生は私にCDをくれた。子供向けの英語の歌が入ったCDだった。たぶん選曲からして、先生が授業用にもっていたものをやいてくれたものだった。当時からビートルズやジャクソン5を好んでいたクソガキにとって正直好みの内容ではなかったことはさておき、CDには先生の手描きのイラストが、メッセージ付きで描いてあった。

 

「Good luck Fumiko!」

 

細かな感情は覚えていないが、とにかく嬉しかったことは確かに覚えている。確かに私はその一言に励まされたのだった。

 

し か し 事 件 は 起 き た 。

 

その日のうちの出来事、励まされたのも束の間だった。担任が私のCDを没収したのである。しかも「校則違反だから」だとかそんな理由ではなかった。「他の子がうらやましがっちゃうから、ね?」みたいなことを説かれ、アレン先生からもらった励ましはあっさりと奪われてしまった。

これは一切覚えていないのだけれど、母上によると私は家に帰るなり泣き出したらしい。「アレン先生がくれたのに、だめなんだって」、と。

 

母上は激怒した。(本人談)

必ず、かの邪智暴虐の教員から、わが子に贈られた優しさを取り戻してやらねばと決意した。母上には校則がわからぬ。母上(当時)は、一介の主婦である。飯を炊き、子と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 

聞いたところによると、母上はメロスの速さで学校に電話し、電話に出た教員に事の顛末を話したらしい。するとその教員は平謝りで、担任を出す前からすでにCDはすぐに返すと約束した。次に担任が電話を代わり、「他の子と平等に扱わなければならないと思った」などと弁明しつつ、CDは明日すぐにお子さんにお返しします、と繰り返したそうだ。

 

以下、母上の見解。

「いや、あれだけすぐに返しますって平謝りしてくるってことは、子ども個人の物を没収するその行為の正当性もしっかりした理由も何もなかったってことだよね。じゃなかったら謝る前にもう少し説明を挟むでしょ。そもそも「平等に扱わなければ~」っておかしいよね。そもそもうちの子は海外から帰ってきたばかりで心細い、不安っていう、他の子に比べたらハンデがある状態だったわけじゃん。それを見たALTの先生が、そこを気遣って心細さをやわらげてくださって、それで初めて前からその学校にいる子ども達と同じラインに立てるわけじゃん。それが平等ってことだと私は思うから、あの先生が「平等に~」って言ったとき『平等ってなんだてめー』って心底思ったわ。」

 

なるほど。平等ってなんだてめー。

 

もとから不平等が起こっている状態で、不利な立場の人間が他の人々と等しい状態になるには、経済的支援であれ社会的サポートであれ、何かしらを受け取る必要がある。

しかし元から彼らよりも有利な立場にある人々はそれを見て「不平等だ」と抗議する。

そう言っている自分たちの足元と、「優遇されている」らしい彼らの足元にある段差にも気づかずに。